一斉に天草漁に出る船。


今は、ミネラルたっぷりのダイエット食品として
人気の高い寒天の原料である天草。

当時は栄養価ゼロとみなされながらも
日本人にとって重要な腸内清掃食品として
人気が高かった。

伊豆半島では須崎や白浜でも天草漁は
行われていたが、その品質の良さと、
組合制度などの組織的経営体制において、
雲見は群を抜いていたという。

長年にわたって天草漁を繁栄させた
雲見は、まさに”天草王国”を築き、
それが様々な面で今の観光事業の
エネルギー源となっている。


”板もぐり”とは18〜34歳の女を中心とした素もぐり漁である。
一もぐり約30秒でも、天草の総収穫の2割を担っていたという。

潜水をしない男たちはマンガ船という船に乗り、櫛のような機械で
海底の天草をかき採っていた。
天草のみを採る潜水漁とは違って、海底の雑草もかき採るので
時期や海域も幅広く許されていた。一日約20貫の収穫。

天草を入れた籠のようなものはスカリと呼ばれている。

収穫の大部分を担っていた
潜水漁。

今のような酸素ボンベは無かったので
船から送られる空気を頼りに
重い仮面と潜水服で潜っていた。

一船で一日約100貫の収穫。


採れた天草は、浜一面に干される。

川で塩抜きした後、作業場まで
運んで行き、雑草と分別する。
一俵7貫目の俵で出荷される天草。

その後、朝鮮の安価な天草の輸入によって売り上げが下がり、
観光事業に転化していったが、今でもその質の良さから
需要は高く、昨今のブームで収穫が追いつかないこともある。